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zoom RSS 日本文学クイズ・石川 啄木

<<   作成日時 : 2012/10/09 23:06   >>

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1 石川 啄木の出身地・岩手県盛岡市の地名の由来は?

ア 短歌
イ 俳句
ウ 漢詩
エ 連歌

2 石川 啄木の代表作「一握の砂」収録の短歌「ふるさとの○に向ひて 言ふことなし ふるさとの○は ありがたきかな」。○に入るのは?

ア 山
イ 川
ウ 友
エ 母

3 石川 啄木の名前がついた公園があるのは?

ア 文京区
イ 新潟市
ウ 函館市
エ 仙台市

答えは以下反転。
1 エ(「幾春も華の恵みの露やこれ 宝の珠の盛る岡山」
「盛岡」の名は、1691年に、時の藩主南部重信と、盛岡城鬼門鎮護の真言宗豊山派永福寺第42世・清珊法印との間で交わされた連歌に由来する瑞祥地名である。「盛り上がり栄える岡」の意味を持つとされ、のちに藩名も「南部」から「盛岡」へと改められた。版籍奉還直後は「盛岡県」が存在したが、旧郡にちなみ岩手県へ改められたと言われている(諸説あり)。現代では一般的呼称ではないが、中世には「盛府」とも記された)
2 ア(1910年 (明治43年) 12月1日、東雲堂書店より初版が刊行された。序文を書いている藪野椋十とは、当時の啄木の勤務先である東京朝日新聞で社会部長を務めていた渋川玄耳のことである。
三行分けによる散文的なスタイルの短歌は、若い世代を中心に多くの追従者を生んだ。特に啄木の郷里の岩手県では、刊行前後から地元紙に啄木の作品が掲載されたこともあり、その影響は大きかった。その一人が旧制盛岡中学校の後輩で当時在学中だった宮沢賢治で、本作の刊行と同時期に短歌創作を始めており、啄木の影響と推察されている。
歌風は、徹底的な生活派であり、雄大な情景よりは、ごくありふれた人間的な感覚を歌ったものが多い。もっとも過激な例でいえば「どんよりと くもれる空を 見ていしに 人を殺したく なりにけるかな」といった短歌さえ所収されているほどである)
3 ウ(大森浜(おおもりはま)は、北海道函館市の海岸である。住吉漁港より湯の川温泉、松倉川河口付近までの津軽海峡に面している。
1907年(明治40年)に石川啄木が函館に移り住んだ際に詠んだ詩「ハコダテの歌」で大森浜に触れていたことから、浜に沿うように「石川啄木小公園」が置かれている)



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