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zoom RSS 旧国名クイズ・遠江国

<<   作成日時 : 2012/06/15 14:57   >>

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領域は現在の静岡県の大井川以西に当たる。


1 遠江国の国府のあった静岡県磐田市のキャッチコピーは?
ア 芸術のまち
イ 文学のまち
ウ スポーツのまち
エ 音楽のまち

2 遠江国の一宮・小國神社(おくにじんじゃ)の社名に関わりのある旧国は
ア 大和国
イ 出雲国
ウ 尾張国
エ 駿河国

3 遠江国出身の大名家は?
ア 酒井家
イ 井伊家
ウ 榊原家
エ 本多家

答えは以下反転。
1 ウ(「スポーツのまち」として全国的に有名で小中学校のグラウンドの芝生化や総合型地域スポーツクラブの育成、スポーツによる健康づくりの推進、スポーツ合宿やスポーツ大会の拠点づくりを重要整備としている。磐田スポーツ交流の里・ゆめりあのほかジュビロ磐田や静岡産業大学が本拠地を置くため、市内のいたるところにサッカー場が見られる。全日本高等学校女子サッカー選手権大会を第13回から継続開催するなど女子サッカーの聖地化を目指している)
2 イ(本宮山の南側の山麓に鎮座する。「小国」という社名は、出雲の「大国」に対する遠江の美称であるとしている。境内は秋には紅葉の名所として有名である)
3 イ(井伊氏は藤原北家の後裔(系譜上では藤原良門の息子である藤原利世の子孫とされる)を称すも、三国姓(継体天皇の後裔)ともされ明確ではない。中世に約500年間、遠江国井伊谷(現、静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)の庄を本貫として治めたとされる。 南北朝時代、井伊谷の豪族であった井伊道政は遠江介である井伊介として南朝の宗良親王やその皇子尹良親王を保護したが、 北朝方の高師泰・仁木義長らに攻められて井伊谷城は落城した。 駿河守護今川氏と対立していたが、やがて今川氏が遠江の守護職を得るとその支配下に置かれる。しかし、戦国期を通して、守護である今川氏とは微妙な関係であり、今川義元が尾張国の織田信長に敗れた桶狭間の戦いの際に井伊直盛は今川氏に従い討ち死にしたが、戦後まもなく謀反を企てたとして井伊直親は今川氏真に討たれている。
この、一族を多く失った「遠州錯乱」時期に、直盛の娘の井伊直虎が家督を継いだが、勢力は大きく衰退し、井伊谷の城と所領は家臣の横領や武田信玄の侵攻により数度失われている。
1575年(天正3年)、養母の直虎に育てられていた直親の遺児の井伊直政(後に徳川四天王の1人となる)は今川氏を滅ぼした徳川家康を頼り、多くの武功をたて、1590年(天正18年)には家康の関東入府に伴い上野国箕輪12万石、関ヶ原の戦いの後には近江国佐和山に18万石を与えられる。直政の死後、直政の子の井伊直勝は1604年(慶長9年)に近江国彦根に移り築城したが、1615年(元和元年)幕命により弟の掃部頭直孝に彦根藩主の座を譲った。直孝の代には35万石の譜代大名となる。なお直勝は亡父の官名・兵部少輔を世襲、3万石として安中藩藩主となった)



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