日本100名城クイズ・岩国城

岩国城(いわくにじょう)は、山口県岩国市横山に存在した日本の城(山城)。
江戸時代初期は岩国領の居城となり、山城である横山城は本丸を中心として南西に二ノ丸、北東に北ノ丸、ほかに水の手などの曲輪が配置され、麓には、「御土居」が築かれた。本丸には4重6階の天守などを上げていたが、廃城後は天守は破却されて土居が陣屋として存続した。城下と城を隔てる錦川には錦帯橋が架けられ、特徴的な景観を作り出している。城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備された。
現在、御土居跡は、吉香公園(きっこうこうえん)として整備され、横山山頂には再建天守がある。








1 岩国の名所・錦帯橋(きんたいきょう)のモデルとなった橋がある国は?

ア 中国
イ ベトナム
ウ インド

答えは下にスクロール。











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1 ア(錦帯橋は1673年(延宝元年)に、岩国藩主吉川広嘉によって建造されたものである。
初代岩国領主吉川広家が岩国城を築城して以来、岩国城と城下町をつなぐ橋は、数回架けられているが、錦川の洪水により、たびたび流失していた。
3代領主の広嘉は、洪水に耐えられる橋を造ることに着手する。橋脚を無くすことで流失を避けられるとのアイディアのもと、大工の児玉九郎右衛門を甲州に派遣し、橋脚がない跳ね橋(刎橋)である猿橋の調査を命じた。しかし、川幅30メートルの所に架けられている猿橋に対し、錦川の川幅は200メートルもあるため、同様の刎橋(はねばし)とするのは困難であった。
広嘉は、明の帰化僧である独立性易(どくりゅうしょうえき)から、杭州の西湖には、島づたいに架けられた6連のアーチ橋があることを知る。これをもとに、連続したアーチ橋という基本構想に至った。アーチ間の橋台を石垣で強固にすることで、洪水に耐えられるというのである。
児玉九郎右衛門の設計により、1673年(延宝元年)に5連のアーチ橋の錦帯橋が完成した。しかし、翌年の1674年(延宝2年)、洪水によって流失してしまった。同年、橋台の敷石を強化して再建したところ、この改良が功を奏し、その後は昭和期まで250年以上流失することなく定期的に架け替え工事が行われ、その姿を保った。)




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