日本100名城クイズ・大洲城

大洲城(おおずじょう)は伊予国喜多郡大洲(四国・愛媛県大洲市大洲)にあった日本の城である。別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがある。
大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道がある。また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜(現八幡浜市)があり、大洲は歴史的にはややひなびた立地ながらも交通の要衝といえる場所にあった。宇都宮氏が創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから地蔵ヶ岳城と呼ばれた。
江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。また、明治維新後から現在にいたる地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成した往時を出来る限り忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。







1 大洲城の再建の際、問題となったのは?

ア 消防法違反
イ 建築基準法違反
ウ 都市公園法違反

答えは下にスクロール。










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1 イ(現在の天守は、大洲市市制施行50周年記念事業として平成16年(2004年)に竣工したもので、戦後初の当時の工法・木造で復元されたものである。明治時代に撮影された外観写真のほか、大洲藩作事棟梁の中村家に伝わる天守雛形(木組み模型)など内部構造を知ることができる資料が充実していたため、往時の姿をほぼ正確に復元することができた。このように、多くの資料が残ることは稀である。
また天守の高さは石垣の上から19.15mあり、本来なら建築基準法で木造では認められない規模であったため、当時の建設省や愛媛県は建設計画をなかなか認めなかったが、大洲市により2年近い折衝を経て、保存建築物として建築基準法の適用除外が認められ、往年の複合連結式による天守群の復元に至った。天守の復元資金には、民間からの浄財が多く寄せられ、その寄付者の名簿は天守内にレリーフで残されている。
天守の復元によって国土技術研究センターから第七回国土技術開発賞を受賞した。)

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