日本100名城クイズ・湯築城

湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市道後町にある城跡。堀や土塁が現存する。国の史跡に指定されている。
河野氏は河野郷(旧・北条市河野地区付近)を出自とする。当初は国衙の役人として活動していたと考えられているが、治承・寿永の乱(源平合戦)で源氏に味方したことで鎌倉幕府の御家人となり西国の武将でありながら大きな力をつけた。その後、室町期に道後に湯築城を築き本拠を移した。







1 元寇の役で活躍した伊予水軍の将・河野 通有(こうの みちあり)のエピソードは?

ア 河野の前船頭(さきせんどう)
イ 河野の中内匠(なかたくみ)
ウ 河野の後築地(うしろついじ)

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1 ウ(弘安4年(1281年)の弘安の役では、通有率いる伊予の水軍衆は、博多の海岸に陣を敷く。博多の石築地(元寇防塁)のさらに海側にある砂浜に戦船を置いて、海上で元軍を迎え撃つべく陣を張り、石塁は陣の背後とした。
この不退転の意気込みは「河野の後築地(うしろついじ)」と呼ばれ、島津氏をはじめとする九州諸将も通有に一目置いた。博多湾に現れた元軍は石築地を回避して志賀島を占領し、この周囲を軍船の停泊地とした。これに対して、日本軍は元軍を攻撃する。)

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