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zoom RSS 一級水系クイズ・重信川

<<   作成日時 : 2017/01/31 00:05   >>

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重信川(しげのぶがわ)は、愛媛県中部を流れる一級河川重信川水系の本川。東温市付近を扇頂として広大な扇状地(道後平野)を形成している。戦国時代以前は伊予川と呼ばれていた。氾濫の多い暴れ川であったと伝えられ、時代により流れを幾度も変えている。急傾斜地を水源とするため、河床に砂礫がたまりやすく、天井川であったと伝えられる。


1 名前の由来となった足立重信が仕えていた武将は?

ア 藤堂高虎
イ 加藤嘉明
ウ 小早川隆景

答えは以下反転。
1 イ(足立 重信(あだち しげのぶ、生年不明 - 寛永2年11月17日(1625年12月16日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。美濃国の出身で、若い頃より加藤嘉明に小姓として仕えた。主君・嘉明の転封に伴い、伊予国正木(松前)城に入った後、文禄・慶長の役に従軍し功を立て、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、佃十成らと共に主君嘉明の留守居として、毛利氏らの支援を受けて蜂起した河野氏の旧臣らの軍勢を撃退する(三津浜夜襲)。これら戦功によって家老に任ぜられ、5000石の所領を与えられた。
その後は、主に領内開発に奉行として従事し、中でも暴れ川として有名だった伊予川の灌漑工事は下流に新たな流路12キロに渡って開削し堤防を築いて大改修を行い、流域に広大な耕作地を生み出した。さらに松山城の南麓を流れる湯山川(現在の石手川)の流路を変更して伊予川と合流させ、城の堀として活用する等、堅固な築堤と水制工事、城下開発に卓越した手腕を見せた。この重信の工事により、領内では水害がなくなり、収穫も潤ったという。それ以来伊予川は「重信川」と呼ばれ、国内でも珍しい個人の業績を名に残す川となった。)


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