峠の居織

アクセスカウンタ

zoom RSS 日本文学クイズ・国木田 独歩

<<   作成日時 : 2012/10/16 19:19   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

1 国木田 独歩の入学したのは現在のどの大学?

ア 早稲田大学
イ 慶應義塾大学
ウ 中央大学
エ 明治大学

2 国木田 独歩の代表作は?

ア 相模野
イ 大和路
ウ 武蔵野
エ 難波路

3 国木田 独歩の葬儀で代理人を送ったのは?

ア 桂太郎
イ 西園寺公望
ウ 山形有朋
エ 伊藤博文

答えは以下反転。
1 ア(1988年、東京専門学校(現在の早稲田大学)英語普通科に入学。吉田松陰や明治維新に強い興味を持ち学生運動にも加わる。徳富蘇峰と知りあい大いに影響を受けると、その後一転して文学の道を志し、この年に処女作「アンビシヨン(野望論)」を『女学雑誌』に発表するほか、『青年思海』などの雑誌に文章を寄稿するようになる。さらにこの頃から教会に通うようになり、日本基督教会の指導者植村正久を崇拝する。1889年7月10日、哲夫と改名。1890年9月には英語政治科へ転科した。ワーズワースやツルゲーネフ、カーライルなどを好んだ。1891年1月4日に植村正久牧師より洗礼を受けた。この年、学校改革と校長鳩山和夫への不信のために同盟休校をおこない、まもなく退学した)
2 ウ(二葉亭四迷の訳「あひゞき」に影響され、「今の武蔵野」(後に「武蔵野」に改題)、「初恋」などを発表し、浪漫派として作家活動を始める。1901年に初の作品集『武蔵野』を刊行するが、当時の文壇で評価はされなかった。さらに「牛肉と馬鈴薯」「鎌倉夫人」「酒中日記」を書く。1903年発表の「運命論者」「正直者」で自然主義の先駆となった。 これらの作品はのちに、1905年に『独歩集』、1906年に『運命』とまとめられて刊行され、高く評価されたが、作品発表当時の文壇はまだ「紅露時代」であり、時代に早すぎた独歩の作品はあまり理解されず、文学一本では生計を立てられなかった)
3 イ(1907年に独歩は肺結核にかかる。皮肉にも、前年に刊行した作品集『運命は』が高く評価され、独歩は自然主義運動の中心的存在として、文壇の注目の的になっていた。
神奈川県茅ケ崎にある結核療養所の南湖院で療養生活を送る。「竹の木戸」「窮死」「節操」などを発表するが、病状は悪化していき、1908年6月23日に満36歳で死去した。絶筆は「二老人」。
葬儀は当時の独歩の名声を反映し、文壇関係者が多数出席し、当時の総理大臣の西園寺公望も代理人を送るほどの、壮大なものだった。友人の田山花袋は、独歩の人生を一文字で表すなら「窮」であると弔辞で述べている)



国木田独歩 (明治の文学)
筑摩書房
国木田 独歩

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 国木田独歩 (明治の文学) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



銀杏踏み踏み森の中

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
日本文学クイズ・国木田 独歩 峠の居織/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる