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zoom RSS 旧国名クイズ・伊賀国

<<   作成日時 : 2012/06/10 08:05   >>

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領域は現在の三重県西部(伊賀市と名張市)にあたる。


1 伊賀国の国府のあった三重県伊賀市出身の人物は?
ア 尾形光琳
イ 井原西鶴
ウ 松尾芭蕉
エ 小林一茶

2 伊賀国の一宮・敢國神社(あえくにじんじゃ)が氏神なのは?
ア 阿倍氏
イ 伊賀氏
ウ 上野氏
エ 江原氏

3 伊賀国の忍者を攻め滅ぼしたのは?
ア 織田信長
イ 豊臣秀吉
ウ 徳川家康
エ 徳川秀忠

答えは以下反転。
1 ウ(伊賀国(現在の三重県伊賀市)で、松尾与左衛門と妻・梅の次男として生まれる。松尾家は農業を生業としていたが、苗字を持つ家柄だった。出生地には、赤坂(現在の伊賀市上野赤坂町)説と柘植(現在の伊賀市柘植)説の2説がある。これは芭蕉の出生前後に松尾家が柘植から赤坂へ引っ越しをしていて、引っ越しと芭蕉誕生とどちらが先だったかが不明だからである)
2 ア(大彦命は孝元天皇の第一皇子で、四道将軍として北陸を平定した後に、一族とともにこの地に永住し、伊賀国の開拓を行ったと伝えられる。当社の北1kmの所には、大彦命の墓と伝えられる御墓山古墳がある。その子孫は伊賀国中に広がり、特に伊賀国阿拝郡(あへのこおり)を本拠としたことから「阿拝氏」を称するようになった。後に阿閉・阿倍・安倍などとも書かれるようになった。よって大彦命は伊賀国の祖神であり、「あべ」姓の氏神であるとされる)
3 ア(天正7年(1579年)、伊賀忍者の一人・下山甲斐は仲間を裏切り、織田信長の次男・信雄に伊賀の団結力が衰えだしたことを報告し、侵略を進言した。下山の言葉に乗った信雄は、ただちに国境にあった丸山城を修築し、侵略の拠点とすることにした。だが信雄の企みはいち早く伊賀の人々の耳に届き、放たれた忍者達の奇襲によって信雄は大敗を喫してしまう。これが第一次伊賀の乱である。
この結果に激怒した信長は、勝手に軍を動かした信雄を絶縁すると脅して戒める一方、2年後の天正9年(1581年)には自ら、およそ4万の兵を率いて伊賀に攻め込んだ。これを第二次天正伊賀の乱という。驚いた伊賀の人々は、すぐさま総力を挙げて信長と戦うことを決意する。しかし、かねて協力体勢にあったはずの甲賀忍者の一人・多羅尾光俊の手引きにより、伊賀忍者からさらに2人の離反者が発生し、織田方の蒲生氏郷の道案内をおこなった。これにより、伊賀の人々が立て籠もった城は次々と落ち、最後の砦・柏原城が落ちた時点をもって天正伊賀の乱は終わりを告げた)



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